SSブログ

豊前国の式内社と宇佐神宮行幸会八社を巡る5 ~郡瀬神社、泉神社、鷹居神社 [ツーリング]



 田笛神社を後にしたのが12:00頃、新門司港に着いてから何も食べていなかったのでお腹が空いてきた。宇佐神宮の方向へ戻りながら食事する所を捜したが、なかなか見つけられず、以前に行ったJOYFULを覚えていたので、そこまで行くことにした。それは駅館川にかかる瀬社橋の東詰にあるのだが、行ってみるとマクドナルドのマークを発見。いつもの株主優待券の出番となった。バイクを駐車しているとついに雨が本格的に降ってきた。御許山も予定しているが、あきらめたほうがいいかな~と思い始める。

 宇佐神宮を通り過ぎて駅館川のほとりまで来てしまったので、先に近い所から回ってみることにした。瀬社橋の西詰に鎮座する郡瀬神社である。ここからは再び合羽を着ての参拝になった。

R0010840_r.jpg
 瀬社橋の西詰、国道10号線沿いの境内入口。右側には駅館川。一見すると駐車に困りそうだが、駅館川と当社の間に道があり、そこから入ると駐車スペースがある。

R0010825_r.jpg
 鳥居と社号標。扁額には八幡神社とある。

R0010826_r.jpg
 郡瀬神社の拝殿。

R0010829_r.jpg
 郡瀬神社の本殿、覆屋に格納されている。宇佐神宮行幸会八社の一社で、瀬社と称せられた。対岸のやや北に鎮座する、鷹居社と合わせて、鷹居瀬社とも言った。和銅5年(709)、大神比義と辛嶋勝乙目の協力の下、創建したという説があり、応神八幡を祀った最初の神社であるという。現在は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀っている。郡瀬神社の本殿の両側にも小石祠がいくつか祀られている。

 国道10号線を西進、1km弱の距離、「辛島」交差点の北東すぐに泉神社がある。辛島が地名として残っていることが日本の奥深さだなとうれしくなってくる。

R0010841_r.jpg
 泉神社の境内入口の鳥居。

R0010842_r.jpg
 泉神社の拝殿。

R0010852_r.jpg
 拝殿に掲げられている扁額。「正六位藤原朝臣高政書」とある。乙咩神社の扁額にも同じ名があった。少し調べてみたが、どういう人物なのかはわからなかった。

R0010846_r.jpg
 境内の西側にある宝池。説明板によると天平宝字3年(763)、当社に湧いていた霊泉で酒を作って八幡神に献じ、その残滴を地に注ぐと、泉が湧き出たという。平成に入って下水道工事によって水脈が絶たれるまでは、灌漑用水として利用されるほどの水量があったという。

R0010853_r.jpg
 泉神社の幣帛殿、本殿。宇佐神宮行幸会八社の一社で、酒井社とも称せられた。境内説明板には辛島泉神社、酒井泉神社ともある。大化4年(649)の建立とされ、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇を祀る。
 また本殿の脇には北辰殿が祀られ、辛島氏の守護神という。

 国道10号線を東に戻り、瀬社橋を越えてしばらく進むと鷹居神社の参道口の鳥居が立つ。

R0010868_r.jpg
 国道10号線から鷹居神社の参道を進む道に立つ鳥居。見て分かる通り、少し引っ込んだ所に立っているので西から来ると見つけにくい。

R0010858_r.jpg
 実際にこの道がわからず、一つ東側の道、御幡交差点の一つ西の道を入っていったため、少し迷った末に北側の裏参道に到着してしまった。

R0010866_r.jpg
 国道10号線からの参道を進むと境内入口。鳥居を象った社号標があり、広い駐車スペースもある。境内域は鷹居地区公園の一角を占めている。

R0010861_r.jpg
 鷹居神社の拝殿。

R0010863_r.jpg
 鷹居神社の幣帛殿と本殿。仲哀天皇、神功皇后、応神天皇を祀る。先の郡瀬神社(瀬社)と合わせて鷹居瀬社と称せられた。

R0010862_r.jpg
 境内に建つ顕彰碑。元明天皇の和銅5年(712)に豊前国宇佐郡鷹居社に八幡大神が奉祀された旨の記述がある。鷹居瀬社として応神八幡を祀った最初の神社であるとされる。鷹居瀬社の創建=応神八幡のプロデュースには大神氏の関与が有力である。



nice!(31)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 31

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。