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ニッポン御朱印の旅0018 生国魂神社 2010-04-08 [御朱印の旅]



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鎮座地 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 [地図]
祭神 生島大神、足島大神
社格等 式内社(名神大)、官幣大社、別表神社
拝観料 不要
駐車場 有り(無料)

 前日の大鳥神社に続いて、翌日も自転車で出かけた。大阪市内で御朱印を頂戴できる神社を回ろうと生国魂神社と高津宮の二社を巡った。
 前日は4月にしてはとても寒い一日であったが、この日は一転して好天で、少し自転車を漕ぐとすぐ汗が噴き出し、春の陽気全開であった。



 生国魂神社は神武天皇の東征の折り、九州より難波津に到着した際、上町台地の北端、現在の大阪城付近(のちの石山碕)に、生島大神・足島大神を祀ったことが起源とされる。日本書紀には孝徳天皇の時代(7世紀中期)に「生国魂神社」と記されており、「延喜式」にも「難波坐生国咲国魂神社」ニ座と記されている。天皇即位の翌年に執りおこなわれていた国家の祭祀(八十島祭)の社として知られている。
 上述している通り、元は大阪城付近に鎮座していたが、豊臣秀吉の大阪築城の際、現在の鎮座地に遷された。

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 谷町筋から西に伸びる参道の途中、鳥居前の参道には骨董市が立っていた。快晴で客足も上々のようであった。

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 生国魂神社の境内入口の大鳥居。「いくたまさん」と呼ばれ、大阪の総鎮守として府民に親しまれている。
桜満開の快晴の日で、とても気持ちよかった。

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 生国魂神社拝殿、後方の本殿は「生国魂造」と呼ばれ、当社独特の建築様式である。
 画像で見えているのは流造りに千鳥、唐の複合破風が付いているが、これは上層部のもので、下にもう一層入母屋造りに千鳥破風を持っている、豪壮な本殿である。

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 本殿の北側に多くの摂末社が鎮座、その中で大坂城守護のため特に北向に建てられた城方向八幡宮、鍛冶の神として崇敬されている鞴神社、建築業の祖神の家造祖神社、浄瑠璃関係者を祀る浄瑠璃神社など四社が並んでいる。

神社辞典以下、神社辞典(東京堂書店)より生国魂神社の項。
 大阪市天王寺区生玉町。生玉神社とも称する。旧宮幣大社(現、別表神社)。
 祭神は生島神・足島神、相殿に大物主神を祀る。社伝によれば神武天皇が九州より難波津に到着の砌、石山碕(現在の大坂城附近)に生島神・足島神を祀ったのが当社鎮祭の初めである。その後、生島の御巫の祭る神として神祗官西院にも祀られ、歴代天皇即位の際に行われた八十島祭は、この両神を祀ったものである。
 『新抄格勅符抄』に大同元年(806)二戸の神封をうけ、『三代実録』に貞観元年(859)従四位下の神階昇叙と風雨祈願の記事がみえる。『延喜式』に「難波坐生国咲国魂神社」「難波大社」とあるのは、当社のことで名神大社に列し、祈年・月次・相嘗・新嘗の案上宮幣、祈雨奉幣に預かった。
 元亀年間(1570-73)織田信長の石山攻めの際、隣接の本願寺とともに兵火に遭い災上したが直ちに再興され、天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂築城に当り現在地に奉遷された。同13年秀吉は300石を寄せ、秀頼によって安堵され、慶長11年(1606)片桐且元奉行として社殿が造営された。元和元年(1615)大坂夏の陣の際に災上したが、徳川秀忠が復興し、同5年300石の朱印地を寄せた。
 社殿は生国魂造りと称する他に類例をみない建築様式で、現在の社殿は台風により倒壊したため、昭和31年鉄筋コンクリートで再建したものである。境内社に大坂城守護のため特に北向に建てられた北向八幡宮、鍛冶の神として崇敬されている鞴神社、建築業の祖神の家造祖神社、浄瑠璃関係者を祀る浄瑠璃神社などがある。
 例祭は9月9日で、その他1月7日=若莱卯杖祭、1月13日=御弓神事、1月15日=左義長神事、5月5日=走馬神事、7月11、12日=夏祭、 10月14、15日=秋祭、11月12日=鎮火祭などの祭典があり、8月11、12日タ刻の薪能は著名である。




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