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豊前国の式内社と宇佐神宮行幸会八社を巡る7 ~宇佐神宮その1 表参道から大尾山へ [ツーリング]


 豊前国の式内社と宇佐神宮行幸会八社を巡る6で、先に妻垣神社をアップした。最後に宇佐神宮で本稿を締めくくりたい。

 百体神社の参拝を終えると15:00少し前になっていた。この後は宇佐神宮に向かう。延喜式に八幡大菩薩宇佐宮、比売神社、大帯姫廟神社とあり、いずれも名神大社である。豊前国六座のうち、香春神社の三座と折半する形である。八幡宮の総本社で豊前国一の宮、日本を代表する神社である。

 百体神社から勅使道を国道10号線の方向へ戻り、国道10号を東に向かうとすぐ宇佐神宮である。到着すると雨があがっていて、なんとなく持ちそうな気がしたので合羽を脱いで参拝することにした。これは帰ってきて思ったことだが、合羽を着て同じ行程を回ると、蒸し暑くてどうしようもないことになっていただろう。
 以前に訪れた時には体調が悪く、しっかり境内を回ることが出来なかったが、今回は全て回るつもりで気合いを入れて参道を進んだ。

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 表参道の商店街を抜けると境内入口の大鳥居が建つ。

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 社号標と境内入口の大鳥居(一の鳥居)。
 少し前を歩いていたグループが、「今日はよくもったねぇ、ラッキーラッキー」などという会話が聞こえてきた。もちろん雨のことである。少しは降ったが、本格的降雨を覚悟していた私もまったく同感であった。

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 参道は寄藻川を神橋で渡る。

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 神橋から西の方向。寄藻川は広い境内域の北側を取り囲むように流れる。宇佐神宮を離れた寄藻川は和間浜で周防灘へ注ぐ。

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 下宮から上宮への参道と大尾山への参道の分岐点に大鳥居(二の鳥居)が建つ。

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 大鳥居のたもと、西側に黒男神社が鎮座している。祭神は武内宿禰。八幡大神への奉仕が著しい神として鎮座、大鳥居の外で八幡大神を守護している。

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 大鳥居をくぐると大尾参道が東に延びる。

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 大鳥居から約200m、頓宮が建つ。7月末に行われる神幸祭(夏越大祭)の御旅所である。

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 頓宮の社頭拝所。

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 拝所と瑞垣に囲まれた頓宮の本殿。

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 大尾山の登り口の手前、御食川を渡る。御食川は広い境内域の南側を取り囲むように流れる。時期と時間帯もあって、こちらまで足を運ぶ人は全くいない。

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 大尾山の登り口の鳥居。

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 階段を登ったつきあたりに和気公の碑が建つ。護皇神社と大尾神社参道の分岐点。
 
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 和気公の碑から右の参道を進むと護皇神社。

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 護皇神社の境内入口。大尾山の登り口からここまで約5分。

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 護皇神社の社頭拝所。祭神は和気清麻呂。神護景雲3年(769)、和気清麻呂が勅使として宇佐神宮に参向、八幡大神の神託を受けて、弓削道鏡の皇位簒奪の野望を阻んだ、いわゆる宇佐八幡神託事件の主要人物である。

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 和気公の碑から左の参道を進むと大尾神社の鳥居。護皇神社からここまで約3分。

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 大尾神社の社頭拝所。祭神は八幡大神。
 天平勝宝元年(749)、東大寺の建立にあたり、その守護神として八幡神が勧請(いまの手向山八幡宮)されることになり、八幡大神と比売大神が奈良に行幸した。その後、帰還にあたり大尾山の頂上に鎮座するとの託宣によって天平神護元年(765)に造営、八幡大神は大尾山に約15年鎮座した。
 和気清麻呂が勅使として参拝、八幡大神の神託を受けたのは、この場所であるとされる。



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