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ニッポン御朱印の旅0019 高津宮 2010-04-08 [御朱印の旅]



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鎮座地 大阪市中央区高津1丁目1番29号 [地図]
祭神 仁徳天皇
社格等 府社、別表神社、境内社に式内社(小)の論社
拝観料 不要
駐車場 なし
家頁 http://www.kouzu.or.jp/

 参拝は4月8日、生国魂神社の後、高津宮に向かった。谷町筋を北上して谷町9丁目交差点の次の角を西進すると高津宮の鳥居がある。



 高津宮も先の生国魂神社と同様、秀吉の大阪築城時に遷座した神社である。
 主祭神の仁徳天皇は、先代の応神天皇の大隅宮 - 推定地として大阪市東淀川区大隅神社のあたり - からその対岸の難波高津宮に遷都、現在の大阪開発の礎である。宮殿の高台から平野を眺めたところ、竈から煮炊きの煙の無いことから民衆の窮乏を察して租税を免除し、その間宮殿の茅葺きを新たに行わなかったという著名な記紀の話は、この難波高津宮での一件であるとされる。

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 千日前通りの一つ北側の通り沿いに高津宮の境内入口の鳥居が建つ。境内は高津公園になっており、参拝当日は花見客がちらほらいた。

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 高津宮拝殿、高津宮は貞観8年(866)、清和天皇の勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのに始まる。本殿は見通せなかったのか、画像がなかった。

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 大阪築城時、高津宮の遷地として選ばれたのが比売古曽神社である。現在は摂社であり、当社の地主神として祀られている。
 比売古曽神社は式内社であり、大阪市東成区の比売許曽神社と共に、その論社の一つとされる。

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 当社絵馬殿、桜が満開であった。説明板によれば、仁徳帝が宮の高殿から平野を眺め、煮炊きの煙の無いこと云々、の逸話の高殿をイメージした建物であるという。
 日差しの強い日の参拝時には、ここでの休憩が涼しくて気持ちいい。

神社辞典以下、神社辞典(東京堂書店)より高津宮の項。
 大阪市中央区高津町。旧府社(現、別表神社)。
 仁徳天皇を主神とし、仲哀天皇・応神天皇・神功皇后・葦姫皇后・履仲天皇を祀る。
 当社は、仁徳天皇の遺徳をしのんで清和天皇貞観8年(866)橘朝臣良基が当地に来て創建したと伝えられる。その後村上天皇康保2年(965)崇徳天皇天治元年(1124)等、順次造営がなされたが、正親町天皇天正11年(1583)に豊臣秀吉が大坂城築城にあたり、現在の社地に奉遷し今日に至っている。当地は延喜式内社比売古曽神社の境内地であったが、この比売古曽神社を地主神として摂社として奉斎したと伝えられている。
 社殿は元和の役に焼失したが、徳川家綱によって復旧し現代に至ったが、昭和20年3月惜くも戦災により焼失した。後同36年に再建復興した。例祭7月18日。2月5日に献梅祭が行われる。社宝に越前守助広銘の刀剣がある。

 
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