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ニッポン御朱印の旅0016 四條畷神社 2010-03-20 [御朱印の旅]



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鎮座地 大阪府四條畷市南野2丁目18番1号 [地図]
祭神 楠木正行 他24柱
社格等 別格官幣社、別表神社、建武中興十五社
拝観料 不要
駐車場 有り(無料)

 春の好天の日、近隣の式内社を回ってみようと考えて選んだのが四條畷周辺。四條畷で真っ先に連想するのが四條畷合戦ということで、式内社ではないが、建武中興十五社の四條畷神社を中心に自転車で向かった日。近場ということで出発は10:00頃と遅かった。



 四條畷神社は楠正成の嫡男、楠正行を主祭神とし、四條畷合戦で戦死した一族、24柱を配祀する。
 楠正行は正成の死後、南朝を支える有力武将として各地を転戦するが、四條畷合戦において足利将軍家の執事職、高師直と交戦し、北朝方の高師直が圧勝、楠正行は弟正時と差し違えて自害を果たした。四條畷合戦に際しては、吉野の後村上天皇に決死の覚悟を打ち明けて別れを告げ、後醍醐帝の御陵を拝し、如意輪堂に辞世の句を記して出陣したという。
 明治の初頭に入って、地元の神職、住民が神社創建を願い出た結果、明治22年6月勅許が降り、翌23年4月鎮座祭が行われ、別格官幣社として創建に至った。

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 JR片町線四条畷駅の北西近くに楠正行公御墓所があり、まずはそこへ立ち寄った。南北を走る河内街道(府道162号線)に面しており、道幅の狭い割りに交通量が多く、また東向きに四條畷神社へ向かう参道は商店街となっているため人通りも多い。そのため車は常に停滞を余儀なくされている。
 余談だが、四條畷市の條は条の旧字体であるため、駅や道路標識などでは「四条畷」と表記されている。また四条畷駅は大東市域に立地している。
 人通りは多いが、墓所へ足を運ぶ人はなく、通り抜け出来ないため生活道路にもなっていない。落ち着いて墓参できる。

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 墓所から参道を東に進み東高野街道を越える。その東高野街道に面して一の鳥居が建てられている。

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 四條畷神社への境内入口。墓所から約1km、一の鳥居から約600m。

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 飯盛山北西山麓に広がる境内はとても広い。

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 四條畷神社拝殿、左側は御妣神社、手前の像は桜井の別れ、父から子へ短刀を手渡すワンシーン。本殿は見通せなかったのか、画像がない。この時期の画像を見返してみると、本殿を撮影していない神社が多い。ここにも再訪して確認してみようと思っている。

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 四條畷神社から大阪平野を眺む。中央の白いラインは第二京阪道路。参拝当日が開通の日であった。

神社辞典以下、神社辞典(東京堂書店)より四條畷神社の項。
 大阪府四条畷市南野。旧別格官幣社(現、別表神社)。
 当社は楠正行卿を主祭神とし、楠正時以下殉難戦役の将士27柱を祀っている。鎮座地は、正平3年(1348)1月5日、正行卿が殉節された由縁地である。
 明治維新に際し、当地の平田神社神職三牧文吾等が、神社創建を願出、その後もしばしば請願がなされていたが、時至り、明治22年(1889)大阪府知事西村捨三より神社創立及び社号宜下の上申が出された結果、同年6月勅許が降り、翌23年4月鎮斎されることとなった。
 例祭は2月12日のほか、4月5日、10月5日にそれぞれ春秋の大祭が斎行される。社宝に刀剣(銘大和包永)あり重文に指定されている。




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