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筑後国一の宮 高良大社を巡る1 ~高良下宮社、高樹神社 [ツーリング]


 2012年5月13日に大阪南港を出港して、翌14日に新門司港に入港、豊前国の式内社と宇佐神宮行幸会八社を中心に回った。14日は降ったりやんだりの天候で、なんとか本降りにならない中で参拝を続けたのだが、翌15日の予報は予定していた宮崎方面の降水確率が高く、午後からの予報が比較的良かった福岡佐賀方面に変更することにした。
 2012年5月15日は予報通り朝からしっかりとした雨、別府から湯布院、日田、久留米と走り、通り道にある豊後国、筑前国の式内社を回ったが、山登りが必要な予定地はスルーして、15日の最後に高良大社を参拝した。。途中参拝した神社はテーマがまとめにくいので今回は割愛して、高良大社のみアップすることにする。

 筑前国の式内社、美奈宜神社の論社二社や大己貴神社を回る頃にようやく雨があがって、合羽を脱いでの参拝ができるようになった。大己貴神社からは国道322号線で久留米市内へ向かい、途中九州道やJR九大線を越えるのに少し道がややこしくなったが、地図をこまめに開き高良山への登り口に到着した。

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 高良山の西麓の高良大社の鳥居。久留米藩主、有馬忠頼が明暦元年(1655)に寄進したものという。到着時間は15:30頃。小学校の校門が近くにあって、たくさんの子供達が下校していた。

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 子供達の帰り道に鳥居が建っていたので近寄ってみると、額束に「高良下宮社」とあったので、行ってみることにする。

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 先ほどの鳥居は脇参道のもの。境内正面に回り込んで、社号標と境内入口を見る。

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 高良下宮社の境内入口の鳥居。

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 階段を上がると社殿が三棟、中央に高良下宮社、向かって右に幸社、左に祇園社、それぞれ渡り廊下によって繋がれて西向きに建てられている。
 高良下宮社には高良大社と同じく高良玉垂命、幸社には孝元天皇、祇園社には素盞嗚尊がそれぞれ祀られている。高良大社(上宮)と同時期に上宮を遙拝する社として創建されたという。

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 下宮社の後方には本殿が連なっている。拝殿が渡り廊下で繋がっているので、三社の祭神も全てこの本殿に祀られているのだろう。

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 麓の石鳥居をくぐってしばらく進むと道路脇に高樹神社の鳥居が見えてくる。高樹神社はいわゆる国史現在社で三代実録に元慶2年(878)、従五位上昇従の記録のある古社である。

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 階段をあがり、社殿が建つ平坦地に入る前に鳥居が建つ。ようやく青空も拝めるようになってきた。

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 高樹神社の拝殿。

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 高樹神社の本殿。祭神は高皇産霊神で、高牟礼権現とも称された。高良山の地主神であるという。
 元は地主神として高良山上に鎮座していたが、高良神に一夜貸したところ、高良神が神籠石を築いて結界としたため、元の地に戻ることが出来なくなり、現在地に鎮座することになったという。
 神籠石については諸説あるが、朝鮮式山城の説があり、神籠石の築造年代は7世紀以前であるというので、この伝承によるならば、その時期周辺に高良山が土着の豪族から渡来系氏族に簒奪されたのであろうか。



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