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筑後国一の宮 高良大社を巡る3 ~高良大社、奥宮 [ツーリング]


 昨年8月より長期間更新休止していたが、少し時間の余裕ができたので、更新を再開する。更新頻度は低くなると思うが、またよろしくお願いします。
 
 大学稲荷神社から自動車参道を登り切ると、ひときわ大きな建物が見えてくる。高良会館である。その高良会館の脇に三の鳥居が建ち、階段を登り切れば高良大社の境内である。

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 高良大社への境内へ続く三の鳥居。急坂の石階段を登って境内へ入る。

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 階段を登り切った正面に中門。安永6年(1777)に久留米藩主有馬頼憧が寄進したもの。

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 社殿は透塀で囲まれている。

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 中門をくぐるとすぐに拝殿が建つ。当社リーフレットには万治2年(1659)から4年にかけて、久留米藩主有馬頼利の寄進により造営されたものという。権現造りで江戸時代初期の特色を留めているとある。 豪壮な拝殿は大社の威厳を誇る。

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 高良大社の本殿。延喜式では名神大社に列し、高良玉垂命神社と記載される古来よりの大社である。現在の祭神は高良玉垂命の他、八幡大神、住吉大神を祀る。
 社伝では仁徳天皇の御宇に鎮座、履中天皇の御宇に社殿を建立したとされる。

 西面に向かって建つ社殿の周囲、透塀の外側に境内社が立ち並んでいる。

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 社殿の右側の奥、高良御子神社が鎮座。高良玉垂命の御子神九柱を祀る。この御子神は九躰王子とも称せられる。
 山川町鎮座の王子宮(高良御子神社)を明治6年に勧請し鎮座。

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 高良御子神社と並んで真根子神社が鎮座。祭神は壱岐真根子命。武内宿祢の忠臣であるという。五所八幡宮、日吉神社、風浪神社が合祀されている。
 真根子神社の社殿は、豊比咩神社の旧社殿と伝わる。

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 社殿の左側の奥にも境内社二社が並ぶ。その右側の印鑰神社。祭神は武内宿祢。高良山麓の印鑰社を明治6年に勧請した。

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 印鑰神社の左隣に市恵比須社。夫婦恵比須神を祀り、その神像が御神体となっている。

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 高良会館屋上の展望台から筑後平野を望む。中央のS字は九州道で、その向こうS字を貫くように筑後川が流れる。

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 高良大社三の鳥居から耳納山スカイラインで奥宮(奥の院)へ向かう。バイクで約3分ほどの奥宮の鳥居。

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 少し歩いた所の参道鳥居。

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 奥宮社殿手前の鳥居。

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 奥宮の社殿。武内宿祢の葬所との伝承があり、「高良廟」「御神廟」と称せられた、高良山信仰の聖地とされる。

 前日泊の別府から天気予報を参考に進路を西に取って筑前筑後の式内社を中心に巡り、最後に高良大社を訪れた。時間の関係で高良大社周辺の式内社は回ることが出来なかったし、参道にある式内論社も見落としてしまった。全く中途半端な参拝になってしまい、再訪の意を強く持ちながら高良大社を後にすることになった。

神社辞典以下、神社辞典(東京堂書店)より高良大社の項。
 福岡県久留米市御井町。旧国幣大社(現、別表神社)。
 高良玉垂命を主神として、相殿に八幡大神・住吉大神を奉斎している。主神の高良玉垂命は、高良の山に鎮まり、奇しき恵みを万民に垂れる筑紫の国魂の神であるという。また「玉垂」については、元来は「霊照」であったともいわれている。
 社伝によれぱ、当社の創建は、履中天皇の元年であり、天武天皇の白鳳2年(673)2月、神主物部道麿の子美濃理麿に神託があり、それによって、大祝家三男隆慶を、社僧にしたという。その子孫は、江戸時代前まで、48世続き、盛時には、当社の神宮寺御井寺の座主として1000余名の僧徒を支配した。桓武天皇の延暦14年(795)5月には、神階従五位下が授けられ、以後、たびたびの昇叙に預かり、清和天皇の貞観11年(869)には従一位、宇多天皇の寛平9年(897)には正一位が授けられた。
 神領についてみると、斉衡2年(855)5月位田四町、元安元年(857)10月、封戸位田を充てられたことが国史に見える。最も多かった時で、9890町の神領を有していたといわれる。
 『延喜式』(927)には「高良玉垂命神社」の名で見え、名神大社に列している。また筑後の国一の官でもある。
 鎌倉時代まで、社殿の造営は勅裁によって行われたといわれ、文永5年(1268)蒙古の使者が大宰府にきて、国難逼迫するや、当社に勅使の差遣があり、綸旨を賜ったという。10月に行われる大祭には大宰府より勅使が立ち、九州九ヵ国の国司、郡司が参集して奉仕、南北朝時代には、小弐、大友・菊地・島津の四氏を「四頭」に任じ、輪番で祭事に奉仕した。
 江戸時代、日光輪王寺門主が当社神宮寺の座主を任命、座主は59世まで続いたが、明治の神仏判然令により、寺坊は除かれ、座主も廃止された。明治4年(1871)5月14日、国幣中社に列し、大正4年(1915)11月10日、国幣大社に昇格した。例祭10月9~11日。6月1日、2日には川渡祭(へこかきまつり)が行われる。
 宝物として「紙本墨書平家物語」(国指定重文)がある。本殿・拝殿は国の重要文化財。

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 高良大社の御朱印。素晴らしい筆遣いで感激した。


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筑後国一の宮 高良大社を巡る2 ~愛宕神社、桃青霊神社、大学稲荷神社 [ツーリング]


 高樹神社から車道を進むとすぐに二の鳥居が見えてくる。

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 二の鳥居から徒歩の参道が分岐する。この参道には参拝ポイントが多数存在することが帰宅後に判明した。また式内社伊勢御祖神社の論社もあるのだが、この時点では山上の境内にあるのだろうと思っていた。しかし山上の境内で参拝し撮影している時には伊勢御祖神社のことはすっかり頭から消えていた。というわけで伊勢御祖神社の参拝は行っていない。残念。
 参拝旅は余裕を持ったスケジュールにしないとこういう羽目になるのだ。

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 二の鳥居の扁額には高良玉垂宮とある。

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 車道の参道を進むと愛宕神社への看板があり、脇の道を進むと、愛宕神社境内の裏側から入ることになるので、鳥居を捜して撮影する。

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 愛宕神社の拝殿。

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 愛宕神社の本殿。祭神はカグツチ。万治3年(1660)49世座主秀賀法印によって隈山に勧請され、寛文11年(1671)に現社地に遷座されたという。

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 愛宕神社から少し登ると桃青霊神社。松尾芭蕉を祀った最初の神社であるという。同域に宮地嶽神社(向かって右側)が鎮座。

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 桃青霊神社からまた少し登ると大学稲荷神社の境内入口の鳥居。

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 愛宕神社と同様、境内の裏側から入ることになる。左側の道がそれ。

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 大学稲荷神社の拝殿。

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 大学稲荷神社の本殿。筑後稲荷十社第一の社と称される。明和8年(1771)高良山座主寂信僧正が現在の伏見稲荷大社から勧請して創建された。



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筑後国一の宮 高良大社を巡る1 ~高良下宮社、高樹神社 [ツーリング]


 2012年5月13日に大阪南港を出港して、翌14日に新門司港に入港、豊前国の式内社と宇佐神宮行幸会八社を中心に回った。14日は降ったりやんだりの天候で、なんとか本降りにならない中で参拝を続けたのだが、翌15日の予報は予定していた宮崎方面の降水確率が高く、午後からの予報が比較的良かった福岡佐賀方面に変更することにした。
 2012年5月15日は予報通り朝からしっかりとした雨、別府から湯布院、日田、久留米と走り、通り道にある豊後国、筑前国の式内社を回ったが、山登りが必要な予定地はスルーして、15日の最後に高良大社を参拝した。。途中参拝した神社はテーマがまとめにくいので今回は割愛して、高良大社のみアップすることにする。

 筑前国の式内社、美奈宜神社の論社二社や大己貴神社を回る頃にようやく雨があがって、合羽を脱いでの参拝ができるようになった。大己貴神社からは国道322号線で久留米市内へ向かい、途中九州道やJR九大線を越えるのに少し道がややこしくなったが、地図をこまめに開き高良山への登り口に到着した。

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 高良山の西麓の高良大社の鳥居。久留米藩主、有馬忠頼が明暦元年(1655)に寄進したものという。到着時間は15:30頃。小学校の校門が近くにあって、たくさんの子供達が下校していた。

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 子供達の帰り道に鳥居が建っていたので近寄ってみると、額束に「高良下宮社」とあったので、行ってみることにする。

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 先ほどの鳥居は脇参道のもの。境内正面に回り込んで、社号標と境内入口を見る。

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 高良下宮社の境内入口の鳥居。

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 階段を上がると社殿が三棟、中央に高良下宮社、向かって右に幸社、左に祇園社、それぞれ渡り廊下によって繋がれて西向きに建てられている。
 高良下宮社には高良大社と同じく高良玉垂命、幸社には孝元天皇、祇園社には素盞嗚尊がそれぞれ祀られている。高良大社(上宮)と同時期に上宮を遙拝する社として創建されたという。

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 下宮社の後方には本殿が連なっている。拝殿が渡り廊下で繋がっているので、三社の祭神も全てこの本殿に祀られているのだろう。

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 麓の石鳥居をくぐってしばらく進むと道路脇に高樹神社の鳥居が見えてくる。高樹神社はいわゆる国史現在社で三代実録に元慶2年(878)、従五位上昇従の記録のある古社である。

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 階段をあがり、社殿が建つ平坦地に入る前に鳥居が建つ。ようやく青空も拝めるようになってきた。

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 高樹神社の拝殿。

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 高樹神社の本殿。祭神は高皇産霊神で、高牟礼権現とも称された。高良山の地主神であるという。
 元は地主神として高良山上に鎮座していたが、高良神に一夜貸したところ、高良神が神籠石を築いて結界としたため、元の地に戻ることが出来なくなり、現在地に鎮座することになったという。
 神籠石については諸説あるが、朝鮮式山城の説があり、神籠石の築造年代は7世紀以前であるというので、この伝承によるならば、その時期周辺に高良山が土着の豪族から渡来系氏族に簒奪されたのであろうか。



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豊前国の式内社と宇佐神宮行幸会八社を巡る9 ~宇佐神宮その3 上宮本殿へ [ツーリング]


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 再びここに戻ってきて、小椋山の上宮へ登る。

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 上宮への階段を登っていると上から巫女さんが降りてくる。時刻は16:00を回ったあたり。本日の出仕が終わったのであろうか。

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 階段を登った先の踊り場、西大門とむかい合う形で若宮神社が鎮座。祭神は仁徳天皇。

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 若宮神社が鎮座する踊り場の南側、菱形池に降りる階段沿いに亀山神社が鎮座。小椋山は亀山とも言い、亀山の山の神である大山積命を祀る。

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 上宮の入口に建つ鳥居。宇佐神宮の鳥居は宇佐鳥居と呼ばれ、古来の様式を継承する。

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 西大門をくぐると上宮。

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 上宮の境内。

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 西回廊の楠に鎮座する八子神社。八幡大神の八王子神を祀る。

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 南中楼門(勅使門)を中心にして、画像の奥から一、二、三之御殿の拝所。


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 一之御殿拝所から八幡大神を祀る一之御殿を見る。

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 一之御殿の西側に脇殿の春日神社。奥には二之御殿脇殿北辰神社。

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 南中楼門(勅使門)が二之御殿の拝所。御門の神として高良大明神、阿蘇大明神の二神を祀る。

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 一之御殿拝所から申殿とその背後の二之御殿。

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 三之御殿拝所から申殿とその背後の二之御殿。二之御殿には比売大神を祀る。南中楼門や二之御殿の配置から、比売大神が主祭神に見えてしまう。比売大神は多岐津姫命、市杵嶋姫命、多紀理姫命の宗像三女神とされる。

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 三之御殿拝所から神功皇后を祀る三之御殿を見る。

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 三之御殿脇殿の住吉神社。

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 上宮の境内から南大門に降りる階段がある。これを百段と言い、かつては大石を使った造りであったという。

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 百段を降りた先の南大門。

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 上宮の境内から御許山(宇佐神功奥宮大元神社)を遙拝する。

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 遙拝所から御許山を眺める。

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 宇佐神宮御朱印。以前に訪れた時のもの。

 早朝に新門司港に着いて、宇佐神宮に到着するまで雨が降ったりやんだりの天気であったが、本降りにはならなかったし、宇佐神宮では雨はあがってくれた。
 表参道商店街に駐めたバイクに戻ってくると17:00。参拝を終えるのを待ってくれたかのように雨がザーと降り出した。御許山は完全にあきらめて、この後は妻垣神社に向かった。
 今回の参拝旅初日はすっきりしない天候になったが、式内社二社と宇佐神宮行幸会八社を予定通り回ることができた。帰ってきて整理するために文献など調べていると放生会関連の神社にも回ってみたくなったので、できれば今年中にもう一度九州に行ってみたいと思う。



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豊前国の式内社と宇佐神宮行幸会八社を巡る8 ~宇佐神宮その2 呉橋、西参道から下宮 [ツーリング]


 大尾山から戻ってきて、参道を進み呉橋に向かうべく一旦境内の外に出る。西参道の呉橋から下宮を巡る。

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 西参道の鳥居。昭和初期まではこちらが表参道であったという。

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 西参道の神橋は呉橋と呼ばれる屋根が付いたもの。

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 呉橋のたもとから御手洗場への階段がある。

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 西参道を進んで呉橋を振り返って眺む。

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 西参道を進んだ南側(右側)に八坂神社と養蚕神社が相殿で祀られる。祭神は素盞嗚命(八坂)、天照皇大神(養蚕)。

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 西参道が表参道に合流する地点。

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 西参道が表参道に合流する地点から大鳥居を振り返る。

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 西参道が表参道に合流する地点の階段を上がって右側に春宮神社が鎮座している。祭神は菟道稚郎子命、応神天皇の皇子。

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 春宮神社から少し歩みを進めると下宮と上宮の分岐点。右が下宮、左が上宮への参道。

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 下宮の鳥居をくぐると神門。

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 御炊宮とも称せられる下宮の拝所。祭神は上宮と同じ応神天皇、比売大神、神功皇后。奥から一之御殿、二之御殿、三之御殿。



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