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往馬大社・龍田大社と平群郡の式内社4 ~ 平群石床神社旧社地、御櫛神社、猪上神社 [ポタリング]



平群石床神社からほぼ南に200mの地に平群石床神社の旧社地があるので、そちらへ向かうことにした。

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 ここへは一見すると、民家への私道と見紛う道を行くので、画像を載せておく。旧社地へは画像の分岐路を左に行く。またこの道を見れば、自動車での訪問は難しいとわかるだろう。

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 平群石床神社旧社地の境内入口。石垣が組まれ、整備されている。

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 平群石床神社旧社地は巨石が露出したまさに磐座信仰の地。ここは陰石が神体として祀られており、往古において、谷を挟んで鎮座する船山神社の陽石と対を為すものであったと考えてみるとおもしろい。

神社辞典以下、神社辞典(東京堂書店)より平群石床神社の項。
奈良県生駒郡平群町井戸の上。
旧村社。祭神、剣刃石床別命。貞観元(859)年従五位上を授けられる。『延喜式』に「平群石床神社大、月次、新嘗」とみえる。越木塚集落の断崖には、高さ6メートル、巾10メートルの巨石があり神体としている。もとは社殿がなく、大正9(1920)年に本殿・拝殿を設け、同13年10月24日現社地に遷座した。境内社に消渇神社というのがあり、婦人の守護神という。

 平群石床神社旧社地の前に訪れた御櫛神社は平群石床神社旧社地の南西約600m、平群町椹原(ふきはら)に鎮座。

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 細い谷筋に営まれている田を見ながら、山際を西に伸びる細い道沿い、集落の西奥に鎮座する。周囲には民家がなく、式社だけがぽつんと建っている。
 この地に式社があるということは西に延びる道は立石越へとつながる古道、椹原道ではないだろうか。立石越は聖徳太子が四天王寺と往来していた道という。

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 切妻造りの門屋をくぐるとすぐに拝殿。境内もこじんまりとした村の鎮守様の佇まい。

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 拝殿の脇に延喜式内御櫛神社と刻まれた社号碑。

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 拝殿の裏側に回ることができる。社殿は本殿の他に二棟社殿がある。本殿祭神は天兒屋根命、他の二棟には豊玉比咩命、玉櫛姫命を祀る。
 また西側にはもう一社境内社があるが、祭神はよくわからない。

 御櫛神社の前に訪れた猪上神社はかつては朝護孫子寺の鎮守社として境内にあったが、明治初頭の神仏分離令によって、一旦は境内の外に遷されたが、後に現在地に遷されたという。

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 朝護孫子寺の仁王門をくぐって右側の茂みに少祠が建つ。これが猪上神社である。

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 猪上神社の本殿。祭神は天足彦命、国押人命とされる。元は朝護孫子寺本堂下の水屋と霊宝殿の間に鎮座していたという。その地は水がしみ出でる地であったといい、そこに井戸があり、井上→猪上と変移したという説、または猪上は龗神を祀り、祈雨止雨の祭祀を行っていたからとも。いずれにしても信貴山で水神を祀る社であったと考えるのが自然か。





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